山陰の輝く人物にインタビュー
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連載
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島根県八束郡宍道町に「絹工房」を構え、原点から絹をつくり上げる 絹織物デザイナー
矢野まり子(やの まりこ)さん |
(VOL.30) |
帰郷し、宍道湖にほど近い山間の地に、絹織物デザイナー・矢野まり子さんが「絹工房」を構えて二年が過ぎた。 矢野さんを訪ねたその日、高台にある工房から目にしたのは黄金色に光り輝く稲穂、黙々と田んぼ仕事に精を出すお年寄り、楽しげに飛び回る虫たち―。そして、秋を感じさせる草木の匂い。 この地で四季の移ろいを全身に浴びて繰り出される絹は、本来の美しさを取り戻し、輝いていた。 (取材:三浦 加寿子) |
「裏山は染料の材料となる植物がいっぱい」と話す矢野さん |
■ 自然の中で生まれる絹の魅力 | ||
夏場も枯れることのない井戸水。「ここだ!」。絹織物に適した土地を探し求めていた矢先、知人から空き家になっていたこの民家を紹介された。「水道の水は絹をだめにする。井戸の水が第一条件でした。初めは東京郊外などで探していましたが、自分の故郷に戻ってくるとは…(笑)」。 矢野さんは、生繭繰糸(なままゆそうし)という蚕が生きている状態の繭から座繰り(ざぐり)という江戸時代より伝わる道具を使って糸を引くことから携わる。艶と発色に優れたこの糸を植物染料で染め、織り上げる。繭は島根県産にこだわってきた。いい絹をつくるのに大切なのは原料。それを育てるにはいい土と水が必要。その思いが矢野さんをこの地に導いたのかもしれない。 県都松江市からは車でわずかな距離にあり、“田舎暮らし”とは言えないかもしれない。しかし、ファッション業界の第一線に身を置いた経験を持ち、今も東京・代官山のアトリエを行き来する矢野さんにとって、ここは自然豊かな地。生まれ育った松江を三十年も離れていると、あらためて郷土の良さを見直すきっかけにもなったという。
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■ すべての行程に関わり、原点から絹をつくり上げる | ||
小学生のころから、将来は“ものづくり”をしたいと考えていた。美大に進み、金属を専攻するものの、金属アレルギーのために断念。 「生地についてもっと知りたい」。テキスタイルに関心を持った矢野さんはその後東京へ。プランナーとして世界のバイヤーを相手に生地を提案するようになった。ファッションをリードしていく仕事、といっても過言ではないだろう。民芸からの大きな転身。「がむしゃらに仕事しましたね。海外にも行くようになって」。でもこれは、次の道へ進むための手段だった、と振り返る。
生地に関するさまざまな知識を得た。同時に、使い捨てが当たり前の世界に疑問も抱いた。そしてたどり着いたのが、やはり絹。「あらゆる繊維を触り、いろんなものを見ましたが、絹を知っていたからこそ、それが基準となって判断できた。私は、絹のしなやかで美しい光沢と艶、変わらないクオリティーを表現していきたい」と。 東京にアトリエを構え、厳選した絹糸を使った商品の企画、デザイン、販売を手掛けた。そして、島根に移り住み、自分が本当にやりたかったことが実現しつつある。 「よりいい糸でいい布ができることも、生地の世界で確信しました。昔ながらの道具で生繭から糸を引き、絹のすべての行程に関わるのは、そうした確信があるから。自然素材の絹だからこそ、自然の中で創作できるのが一番だと思います」 |
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■ 島根から絹の新しい可能性を発信し続けたい | ||
一年目は環境に慣れるのに精一杯だった。二年目になると集落の人との交流も生まれ、地に足が着いてきた。作品展も開いた。 初めて着尺をつくった。自然と人が融合して出来た逸品は、手にすると絹ずれの音が優しい。「この音を知っているから、手間も時間も惜しまず一からすべてやりたいの」。大きな瞳が力強さを増した。 これからどんな作品が生まれるのか。「古いものにどっぷり浸らず、新しいものを生み出す表現をしていきたい」。伝統ある絹に新しい感性を吹き込み、その無限の可能性を追求する矢野さんの姿勢に期待したい。 |
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