■ 美容師への道~意外と単純な動機から
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―まず、美容師になろうと思われたのはどうしてですか?
単純に言うと、「これならとりあえず食べていけるだろう」と思ったからです。母親が美容室をやっていたので、幼い頃から仕事をかい間見ていました。
でもあるときまでは、母の跡を継ごうとか美容師になろうというのは、全然考えていませんでしたよ。それが、なぜかしっかり日にちまで覚えているんだけれど、高3の12月26日まで大学に進学しようと受験勉強していたのに、翌日には「美容師になろう」と決意したんですよね。
―すごい気持ちの変化ですね。理由はあったのですか?
当時、昭和40年代後半から50年代前半はオイルショックなんかがあって、あまり景気のいい時代じゃなかったんです。ちょうど今みたいに大学出たからといって就職の保障もなくて。そんな不安からでしょうね、大学進学するより確実に食べていける道を、手っ取り早いのは親のやってる仕事だったら様子も分かるし、というので美容学校に入ることに決めたんです。
親としては複雑な気持ちだったと思いますよ。嬉しい気持ちの反面「男の一生の仕事としてこれを選んで本当にいいのだろうか」って。
大阪の美容専門学校を卒業後は神戸の美容室で6年ほど働きました。米子に帰って来て約2年、母の美容室で一緒に仕事をしましたが、念願の自分の店「クープ・クレール」を米子市富士見町に85年にオープンしました。母も今はもう引退しています。
―C.A.Tのコンクールについて簡単に教えてください。
パリに本部があり、理美容の人材の育成と美容師の社会的地位の向上目指して、毎年世界大会が行われています。C.A.T(セー・アー・テー)はヨーロッパの国々を中心に組織されていますが、日本にも支部があって、僕は神戸にいた時から、自分の技術のレベルをはかるために日本大会に出場していました。
もちろん米子にいても挑戦は同じです。常にC.A.Tは自分が今どれくらいの位置にいるかを確かめる基準ですからね。世界大会に出場できるのは、日本大会で上位に入るか、同等の技術を持つことが条件です。
そういう意味では、技術は誰にも負けない高いレベルであるという自信がありますよ。世界大会には3度出場経験があって、92年に個人戦カット&ブローの部入賞、2000年には総合3位に入賞しました。そして昨年は、日本チーム団体総合優勝です。世界のトップになれたのですから、すごく嬉しかったです。
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■ 技術プラス感性を磨くことこそクリエーターのあかし
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―野津さんにとって、美容師とはどういう職業ですか?
僕はあくまで「クリエイティブの中の美容師」だと思っているんです。お客様それぞれにファッションがある。それに似合ったヘアースタイルをつくっていくのが自分たちの仕事です。
だから技術はもちろん、芸術性や感性を磨いていくのも当然のことなんですよね。
店も自分の表現の場ですから、内装も含めて自分の主張、思いを形にしています。現在3店舗あるけれど、それぞれにコンセプトが違うんです。「クープ・クレール」はヘアメイクをトータルにクリエイトする美容室、「ルージュ」はカジュアルテイストでおしゃれを演出、「ルージュAT」はカラーコンセプトサロン…という具合です。
それから、美容師はやはりサービス・接客業としてのプロです。お客様に心地よい時間をいかに提供できるか…。
さりげなく、だけども完璧に。大阪のホテルリッツカールトンのサービスは一流で、僕も目指すのはそれなんですが、実際「そんなに気配りされると、こっちが緊張してしまうわ」とお客様に言われることもあるので、加減はいつも難しい(笑)。
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―世界のトップになるために、米子という地方都市を拠点としていることで支障がありませんか?
昔と違って今は地方にいても情報がすぐ入ります。でもやっぱり都会で得られる感性というのもあると思いますよ。
僕は毎月最低1回は大阪へ行きます。美容専門誌の元編集長が講師のコマーシャル写真を分析する講座を受講しているんです。クラシック、モダン、ポストモダンといったアートの分類をするんですが、これがすごく面白い。そのうち店のスタッフにも教えたいなと思っています。
外国の空気を吸うのも新鮮だから、特にヨーロッパは時間があったら何度でも行きたいですよね。それから一流のものを見たり聴いたりするのは刺激になります。今度「キダム」も大阪まで見に行きます。自分を磨くためのお金は惜しんではいけないんです。
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―いままで一番苦労したことは?
自分の技術を上げるために努力してきたことは当然なのだけど、店を大きくしていく課程では、やはり人材。
自分の思いをどれだけスタッフに伝えられるか、そしてその思いにどれだけ彼らがついて来てくれるか、というのはいつも課題です。
だから彼らにとって、魅力のあるクリエーターであり、オーナーでいなければならないと思って努力しているというのが、苦労といえば苦労かな。
―今後の目標をおしえてください。
向上心をもって、世の中の動きや流行に敏感でいるというのは、どこで暮らしていても必要なこと。
今後は、既に店のスタッフも技術面でどこに出しても恥ずかしくないレベルに達しているので、C.A.Tのような世界大会の日本代表になれるよう指導していきたいと思っています。 |
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Profle
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野津さんの経歴
1957年 米子市に生まれる
1982年 大阪の美容専門学校を卒業後、神戸の美容室で働き、米子へUターン
1985年 「クープ・クレール」を米子市富士見町にオープン
1996年 「ルージュ」を米子市昭和町にオープン
2001年 「ルージュ・AT」を米子市角盤町にオープン
タイトル・受賞歴など
1992年 C.A.T世界大会カット&ブロー入賞
1999年 ミラノコレクション(アンナモリナーリ)バックステージ参加
2000年 C.A.T世界大会団体3位入賞
2002年 C.A.T世界大会SHOW部門「金賞」総合「優勝」
その他 1994年、1995年、1998年 GBC山陰大会2位
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野津孝志(のず たかし)
鳥取県米子市富士見町2丁目47-1 「クープ・クレール」
TEL&FAX 0859-32-5500
URL http://www.coupeclair.com
e-mail:coupeclair@sanmedia.or.jp
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