山陰の輝く人物にインタビュー


連載


CDデビュー!地元への愛が曲の原点
三谷 純さん(D≠STAR HATE ヴォーカル&ギター)

(VOL.14)

 
 音楽にのめり込み、バンドにはまる、今どきの若者。「D≠STAR HATE(ディスター ヘイト)」のヴォーカル&ギター、三谷純さん(22才)のことを、大人はそう言うかもしれません。
 しかし彼は「今どきの大人」よりも、よっぽどしっかりした若者です。

 若い世代はむろん、年配世代ですら、どう生きていいか分からない現代。その中で、三谷さんや彼とバンドを組んでいるメンバー達は、自分の道をしっかり踏みしめて歩いています。

 成功するのは、わずか一握り、という厳しい音楽の世界で、懸命に自分を表現しようとする彼ら。夢に向かって前進中の三谷さんに、これまでの道のりについて、語ってもらいました。

CDを手にした三谷さん

D≠STAR HATE(ディスター ヘイト)
ギター、ベース、ドラム3人のバンド。3人とも島根県大田市波根出身。東京で音楽活動をしている。

↑見事、東京でCDデビューを果たした、ディスター ヘイトの三谷純さん。メジャーへの進出に向け、第一歩を踏み出しました。


「うまいじゃん!」の一言でギター好きに

バンド活動を語る三谷さん

↑若いんですが、芯の強さがあり、とても礼儀正しい人でした。ライブのこととなると、本当にうれしそうに話す姿を見て、ああ、音楽が心底好きなんだな-と思いました。


 「ぼく、すぐ調子に乗るんですよ」と彼は笑う。島根県大田市に生まれ、小さい頃から空手を習い、将来の夢は「小学校の先生」。中学2年まで、バンドとは何の縁もない人生だったが、ある小さな出来事が、それを変えた。

 「その頃『BOOWY』がはやっていて、影響を受けた先輩や友達が音楽をやってました。ある時、友達のギターを何気なく弾いてみたら、全く初めてだったのに、ワンフレーズすんなり弾けちゃったんです」

 周囲は「すごい!」と絶賛。自分でも「俺って天才かもしれない」と思ったそうだ。ほめられるとテンションが上がる性格。この性格が、彼を音楽の道へ引き入れたのかもしれない。

 ギターに目覚めた彼は、仲間たちといっしょに、有名バンドの曲をコピーしては楽しんでいた。ひとつのテクニックを修得すると、それが楽しくて、また次のテクニックに挑む。しかしある時、他人の曲をなぞっているに過ぎない自分に気づき、自ら曲づくりを始める。

 初めて作った曲は、高校の時、好きだった人に向けたものだった、と三谷さん。これがまた「すごくいい曲」と周囲にほめられ、彼はますます音楽が好きになっていく。高校2年生の時には、オリジナル曲を演奏する高校生バンドとして、地元や出雲周辺で有名になっていた。

 1日8時間、飽きもせずギターの練習を続ける高校時代。小学校の先生になりたいという夢は、いつのまにか、バンドで身を立てるという夢に変わっていた。


豆だけで1週間


 高校3年、誰もが進路を真剣に考える時期。いっしょにバンド活動をしていた何人かのうち、4人が、プロのミュージシャンを目指して東京に行くことを決めた。もちろん、三谷さんもその1人だった。

 三谷さんは、音楽の専門学校に入って基礎固めをしつつ、バンド活動をやっていこうと思い上京。ところがこの専門学校を、わずか1週間でやめてしまう。「授業内容が、自分で練習できる程度のものでしかなかったんです」。このまま学校にいても時間の無駄。彼はアルバイトをしながら、自力でテクニックに磨きをかけることにした。

 それからは音楽づくしの日々。自分達の曲を売り込むため、ライブハウス回りを始めた。
「ライブをやると収入になる、と思っている人が多いですけど、全然そんなことないんですよ」

 ライブハウスは、名もないミュージシャン達にとって登竜門。審査会場みたいな所だ。
「まずデモテープを送って、それをパスすると昼のオーディションに出られるんです」。

 昼のオーディションとは、昼間ライブのこと。しかし、日中にライブハウスに来る客はほとんどいない。つまり彼らは、ライブハウスのスタッフと、バンドメンバーより少ない人数の客の前で演奏するわけだ。「何の反応もかえってこないライブでしたよ(笑)」

 昼のオーディションをパスすると、初めて夜のオーディション、ライブに出演できる。だが、ここでもまだ収入にはならない。アルバイトで稼いだお金は、家賃、練習のためのスタジオ代、機材費などで、またたく間に消えていった。

 三谷さんに、東京に出て一番つらかったことは?と聞くと、「食べ物が買えなかったことです」と即答。1袋50円の豆だけで、1週間しのいだこともあるという。さすがに「栄養失調」と言われたそうだ。

三谷さんの横顔
 高校を卒業し、東京に出たての頃は65キログラムあった体重が、1年で54キログラムまでダウン。でも彼からは、悲愴感みたいなものはみじんも感じられません。好きなことをやっているからでしょうね。


「井の中の蛙」

 
 だが、彼らの苦難は「ひもじい」ということだけではなかった。ある有名なライブハウスに出演することができ、確かな手ごたえを感じつつ演奏を終えた彼ら。しかし待っていたのは、ライブハウスのオーナーの厳しすぎるコメントだった。「とにかく、下手すぎて話にならない、といった感じでした。バンドを続けるのは無理だ、とまで言われました」。見回すと、地元では考えられないほど高レベルのアマチュアバンドがいっぱい。三谷さんは、自分達が「井の中の蛙」だったことを痛感した。

 傷ついた彼らは、地元、大田市のイベントでライブをやらないか、という誘いを受け、久しぶりに故郷で演奏した。聴衆から高い評価を受け、やっぱり田舎はいいな、と思った。しかし一方で、これではダメだ、地元に甘えてはいけないとも感じた。彼らは、居心地のいい故郷をはなれ、再び東京へもどっていく。

 だがそんな彼らに、最初の大問題が発生してしまう。ベースとボーカルのメンバーが、これまでにない大げんかをしてしまったのだ。結局、これがきっかけでメンバーはばらばら。バンドは、三谷さんとドラムの二人だけになってしまった。

 紆余曲折を経て、けんか別れしたベースが、実はいっしょにやりたがっていることを知った三谷さんは、なんとかメンバーをとりなした。「ドラムは『もうベースとは組みたくない』と言ったんですが、ベースには反省してもらい、もどってきてもらいました」。こうしてバンドは、3人になった。現在のディスター ヘイトの形だ。
 メンバー全員、曲を作ることができます。「曲は、パッと浮かぶこともあれば、いくら考えても出てこないときもある。でも伝えたいことをちゃんと持っていれば、いい曲ができる」。技術だけ持っていても、人の心を打つ曲はできないということでしょう。
楽譜


出会いと別れ、そして歌へ


 かろうじて、ベース、ドラム、ギターの楽器隊は残ったが、肝心のヴォーカルがいない。そんな時、バイト先で歌の好きな先輩と知り合い、新ヴォーカルとして迎えることになった。

 「人間的に、すごくいい人でした。でも、歌はもうひとつだったんです」。彼らはすでに、有名ライブハウスで、夜のライブに出演するほどになっていた。だが、なぜかバンドは、軌道に乗り切れない。その原因がヴォーカルにあることを、彼らは他ならぬファンから知らされる。

 でも三谷さんらは、練習すればヴォーカルもうまくなれる、と信じていた。ヴォーカルもそれに答えるよう、努力に努力を重ねた。が、それも長くは続かなかった。


 ある時、ヴォーカルの父親がリストラで失業。これまで通り、バンド活動を続けることが難しくなった。それに加えて、依然続くヴォーカルの不評。ヴォーカルは次第に練習にも来なくなり、ライブを1週間後に控えたバンドは、再び危機を迎える。

「ヴォーカルがいないからって、ライブはキャンセルできない。困り果てた時に、ドラムが僕に、『お前が歌えばいい』と言ったんです」。

 三谷さんはこれまでギター一筋だったため、ヴォーカルなんかやりたくない、というのが本音だった。しかしライブは待ってくれない。三谷さんは覚悟を決めて、自分が歌いやすいように、新曲をひとつ書き下ろし、1週間、必死に練習した。
ライブの様子


 ライブが終わったあと、三谷さんは、散々な評価が下されるだろうと思っていた。だが結果は意に反して、成功。ファンからは「以前よりも全然いい!」とほめられ、ライブハウスのオーナーからは「お前の声が好きだ」と言ってもらえた。

 だが、練習に来なくなっていたヴォーカルが、この言葉を聞いていた。当然彼は打ちのめされていた。メンバーの誰もが言えなかったことを、ライブハウスの関係者と観客が、いともあっさり言ってしまったのだ。

 「勝手にすればいい」。ヴォーカルはそう言い残して、バンドを去った。
 「本当にいい人だった。彼をとるか、バンドの将来をとるか、本気で悩みました」。彼を傷つけ、気まずく別れてしまったことを、三谷さんは今でも気にしている。

 でも、この出来事があったからこそ、三谷さんは今、自分の声に思いを込めて、歌を歌っている。ギターを弾きながらのヴォーカルは決して簡単ではないが、ベース、ドラムと三人で、新生ディスター ヘイトをスタートさせた。去年のことだった。

 そして、上京から4年、ライブハウスの勧めで、今年ついに、CD制作が決定。6月、発売にこぎつけた。彼らは、夢をひとつ、かなえたのだ。
三谷さんの手

 ギターの腕なら誰にも負けない、というほど、練習を積んだ三谷さんの手。いまは、ギター兼ヴォーカルという、難易度の高い分野に挑んでいます。


家族がいるから、がんばれる


 CDの中に、ディスター ヘイトの記念すべき一曲がある。「FOR MYSELF」だ。自分のために、というタイトルは、一見ひとりよがりのように思えるが、中身を聞いてみると、全く違うということに気づく。

「この曲は、僕がヴォーカルとしてのプレッシャーを感じながら作った曲ですが、できたとき、ディスター ヘイトの方向性が見えた!って思いました」。

~全てがどうでもよくなった瞬間、田舎の家族が浮かんだ~何のために…みんなはがんばっているのですか?~

 早いテンポの曲調にのせて、三谷さんのストレートな歌声が響く。彼はこの曲で、何を訴えたかったのか。

「自分は一人で生きてきた、と大きな顔をしているバカな人間がとても多い。自分達がここにいるのは、家族がいて、ご飯を食べさせてくれかたらです。ディスター ヘイトのメンバーは、みんな家族がすごい好き。つらい時、へこんだ時、家族を思い出すと、がんばろうという気持ちになれるんです」。

 本当はみんな、大都会よりも、田舎が好き、地元が好き。でも帰らない。それは、メジャーデビューという快挙を家族にプレゼントするためだ。一番の家族孝行は、自分達がメジャーデビューし、成功することだと思っているからなのだ。

新発売のCD

↑CDを聞くと、彼らの生き方、感じ方そのものが伝わってきます。一度聞いただけで、ある曲のワンフレーズが頭から離れなくなりました。なんか、心に残るんです。


 今どき、ミュージシャンを目指して上京する若者はたくさんいる。生まれるバンドの数だけ、消えていくバンドもある。将来、ディスター ヘイトは、世界的な超一流バンドになるかもしれない。夢半ばで帰郷するかもしれない。でも、今彼らは生きて、5曲を収めたCDを、現実に出すことができた。そのことが、なんだかすごく、愛おしいことに思えて仕方ないのだ。たった1枚のCDだけど、彼らにとって、彼らを生んだ地元にとって、これは宝物だ。

笑顔の三谷さん


D≠STAR HATE
ファーストCD「3bottles tasty」…\1,050(税込)

販売店:ファミリーデパート・パル内「チャイム」(大田市)
東京のインディーズショップ
ライブ情報・CD購入の問い合わせ
TEL 090-2433-9044



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