山陰の輝く人物にインタビュー


連載


仕事もスポーツも「腕」が勝負!
浜村敏弘さん(浜村石材店社長)

(VOL.13)

 
 腕っぷしがよく、ひと味違った切り口で商売を前進させていく人。出雲市で「浜村石材店」を経営する浜村敏弘さん(48)は、そんな人です。

 浜村さんの腕は、まさに磨きぬかれた「輝く腕」。7年前、足の自由を失って以来、その両腕で、世界のベスト10に入る水泳選手にまで上りつめました。

 そして今、従来にはない新しい石材店を目指し、経営手腕を振るっています。そんな浜村さんに、「起死回生の人生」について、うかがってきました。
 

新しいタイプの石材店を目指す浜村社長
↑浜村敏弘さん。新しいタイプの石材店をめざして、いつも忙しそうに動いていらっしゃいます。


人生を変えた病

シドニー・パラリンピックでの勇姿

↑浜村さんの勇姿。ここにいたるまでに、
いろいろな苦労と努力を重ねてきたに違いない。


 浜村さんは、島根県出雲市にある「浜村石材店」の3代目。33歳のときに先代から社長職を引き継ぎ、以来、石材業ひと筋の人生を歩んできた。仕事、付き合い、ゴルフ…。いかにも社長らしい、多忙な日々を送っていた。

 そんな浜村さんに、人生を変える出来事が起こった。7年前の、大動脈瘤の破裂。大手術の末、命は取り留めたが、下半身の自由を失ってしまったのだ。

「腹筋を動かすこともできないですからね」。
 胸から下は全く動かず、歩くことはもちろん、日常生活もひとりではできなくなっていた。当然のように動いていた体が、いきなり動かなくなってしまうと、絶望のあまり、何も手につかなくなってしまうと、浜村さんは言う。今でこそ元気みなぎる浜村さんだが、当時は、生きる気力さえなくしていたという。

 「そんな時に、水泳をやってみないか、という声をかけてもらったんです」。
 泳ぎを始めてみたものの、両腕だけで泳ぐというのは、並大抵のことではない。その上浜村さんにとっては、プールに入るということ自体が、まず大変なことだった。練習に通ったプールは一般人向けで、バリアフリー(障害者に使いやすい造り)ではなかったため、着替えも移動もひと苦労だった。

 それだけでなく、精神的な負担ものしかかった。車椅子姿の浜村さんを見る周囲の目は、同情と哀れみが入り混じったもの。それが浜村さんにとっては、辛かった。


支えは「出会い」


 しかし浜村さんには、支えがあった。「入院生活をしていると、いろんな障害を持つ人達に出会います。最初は、自分が最も重い障害を抱えていると思うのですが、そうではないということが分かってくるんです。自分より重度の障害を持つ人が、前向きに努力する姿を思い出し、『ああ、がんばらなければいけない』と思いました」

 もともと努力家で負けん気の強かった浜村さんは、プールに入ることすら満足にできなかった状態から、わずか9ヶ月後、全国身体障害者スポーツ大会、25・50メートル平泳ぎで、みごと「優勝」してしまう。たまたまだ、と浜村さんは笑うが、決して偶然の産物ではない。毎日プールへ通い、膨大な練習量をこなした結果だった。おそらくその練習量は、想像をはるかに超えるものだろう。

 その後の浜村さんは、すごかった。日本ばかりか、国際大会でも次々と優勝。気がつけば、世界屈指の選手になっていた。まさに、世界に通用する「腕っぷし」だ。

メダル獲得の浜村さん
 平成12年8月、ジャパンパラリンピック、50mバタフライ・100m平泳ぎで優勝。同年10月、シドニー2000パラリンピック大会、200mフリーリレーで7位入賞。障害者の平泳ぎでは世界ランキング8位、バタフライでは6位。すべて浜村さんの記録だ。

 
 そして浜村さんは今、水泳に次ぐ、新たなスポーツに取り組み始めている。そのスポーツとは「ライフル射撃」だ。シドニーパラリンピック後、スポーツ射撃の関係者に偶然出会ったのがきっかけだった。

 両腕の筋肉だけが頼りだった水泳とは違い、ライフル射撃でポイントとなるのは「集中力」。ほんの僅かな腕のぶれ、気持ちのぶれも、このスポーツには禁物だという。
 「狙いを定めているときは、ものすごい集中力が必要だし、息すらも止めていますよ」
 水泳が「動」なら、ライフル射撃は「静」のスポーツ。新しい分野への挑戦だ。

 浜村さんはいま、障害者にも使えるライフル射撃場を、なんと会社の敷地内に設置しようと準備中だ。県内に、バリアフリーの射撃場がなかったからだ。「凝り性」と自己分析する浜村さんならではだが、ここは自分だけが使う練習場ではない。障害者にも、そうでない人にも使ってもらえる、公認の練習場を目指している。
 完成後には射撃大会も開きたいと、浜村さんは意欲を燃やしている。
 
準備中のライフル射撃場

 左の写真はオープンに向けて準備中のライフル射撃場。

 ライフル射撃は、集中力を試されるスポーツ。バリアフリーの練習場なので、障害のある人も、そうでない人も利用できる。


芽を出す石「にょっこり」

「かわいい!」と思わずなでてしまう石「にょっこり」

 スポーツでは数々の輝かしい記録を持つ浜村さんだが、それだけが功績ではない。本業の石材業でもまた、異彩を放つ存在だ。

 石材店というと、四角い無機質な石が、雑然と積み上げられた様子をイメージするが、浜村石材店はそれを見事に裏切ってくれるところ。同店の敷地に足を踏み入れると、そこには、一つひとつが自己主張する、アートな石がいっぱいだ。思わず笑みがもれてしまうほどだ。

 この石は、同店が製造する「にょっこり」という商品。自然な石の風合いをとどめたオブジェだ。「にょっこり」とは、「ひょっこり」「にょっきり」をかけ合わせてできた、同店の登録商標。「たけのこが芽を出した様子を、ひょっこり、とか、にょっきり、とか言うでしょ。あのイメージです」。

 石は硬くて冷たいもの、と思いがちだが、浜村さんは、石は本来、暖かくてやわらかいものだという。それに人が手を加えることで、石は優しい、いやしの物質になる。それが「にょっこり」なのだ。「庭はもちろん、玄関にちょっと置くだけでも素敵ですよ(浜村さん)」。

 ↑「かわいい!」と思わずなでてしまう石「にょっこり」。触れるとなんだかほっとするのは、石もやっぱり、地球で生まれた自然の恵みだからかもしれない。


石のブティックを


 さらに同店は5月下旬、さまざまな石商品を展示した「ギャラリー」をオープンする。ブティック調の、現代的な展示場だ。ここでは、これまでにはない、新しい形の「お墓」が展示される。ピラミッド型や大理石製など、「これってお墓?」と思ってしまうような墓石が並ぶのだ。


 一見、風変わりなように思えるが、自分のお墓に、従来にはなかった色、形、デザインを求める消費者は、確実に増えているという。「60代以上の3分の1は、生きている間に自分のお墓を作る時代です」。

 いなくなったあとも、自分らしさを残したい。その思いが、墓石にも反映されつつある。「こうしたニーズに応えていくのが我々の仕事であり、課題です」。

 このほかギャラリーには、萩焼きのカップ、お香グッズ、器なども並ぶ。窯元と提携して取り寄せている商品なので、物は確かだ。また、中国最高級のお茶を飲むこともでき、ちょっとした「なごみ空間」として親しまれそうだ。

大きな石壁が見えたら、そこが浜村石材店

↑国道9号線から、この大きな石壁が見えたら、そこが浜村石材店。ギャラリーには面白い石材が並んでいるので、ドライブついでに気軽に寄ってみるのもいい。


なくして得たもの


 浜村さんは、病によって両足の自由を失ったが、得たものもある。それは、いろんな角度から物事をみる目。「同じ物でも、上から見るのと、下から見るのと違うでしょ。車椅子の上にいると、おのずと人とは違った視点になるんですよ」。視点の多様さは、浜村さんの商売に大いに役立っている。

 ビジネスに、スポーツに、充実した毎日を送っている浜村さん。こんな人はやっぱり、輝いている。洒落たパープルの車椅子を自在に操りながら、浜村さんは今日も前進する。

浜村社長

浜村石材店

島根県出雲市知井宮町214 (〒693-0033)
TEL 0853-21-0731
FAX 0853-21-8950
Eメール info@nyokkori.jp
ホームページ http://www.nyokkori.jp/


■これまで掲載してきた記事

tm-21.comトップへ戻る